
会社に務めながら、副業から小さく始めて将来的に独立したいです。どうすればいいですか?
このブログの終着地点でもありますね。
かつての僕も同じことを考えていました。
これがきっかけで僕も情報発信やブログを始めましたから。
とはいえですよ?
今回は、「じゃあ皆さんもブログをやりましょう!」ということを言いたいわけではありません。
これまでの記事で、さんざんブログの開設方法から収益化の方法までを解説してきましたから。
※売るためのライティングテクニックや収益化のためのサイト設計の方法は有料公開した(2025年2月発売)
なので、これから紹介するのはもっと根本的な部分です。
僕のやっているブログやライティングは稼ぐための手段の一つにすぎません。
さらに重要なのが、別の畑に放り出されたときに経営者として立ち回れるか?という部分です。
つまり、この部分を鍛えていると個人で副業をする場合でも成果に大きな差が生まれます。
***
僕の場合は入り口がブログですが、
ブログ以外にもいくつかの副業に手を出してきました。
そんななか気が付いたことといえば、
入り口がどうであれ最終的にどのようなスタンスで事業に立ち向かうか?が重要であるということです。

家で出来る副業、ブログやプログラミング、せどりなどをやっていくと根本的な部分には共通点が、、
正直なところ、副業はヒットするまでが長いです。
ですが、とりあえずリスクの少ないところから取り掛かるようにしました。
当時の現状(本業の収益では満足できない)を嘆き続けることも可能でしたが、将来稼げるんだと思って希望を持った方が行動を起こせるし、何より気が楽だったのでとりあえずやってみよう精神で続けていました。
続けていると徐々に成果が出るようになってきて(馬鹿の一つ覚えは避けましょう。後述しますが。)
ようやく、とりつかれたように無心で副業をしていた状態から解放されたような気がしました。
そこからは、量より質を意識した価値提供を行うようになり今に至りますね。
- 個人が副業で稼ぐには? ※今回はこれだけを追求します。

今でもたまに思うことがあるのですが。
僕より若い人を見た時に、

もう副業やってるの?凄いな!絶対その歳で始めると成功するよ
と、羨ましくなることがあります。
ですが、年齢がどうであれやはり始めないことには状況は変わらないのも確かです。
どんな形でもいいので、とりあえずやってみることをおすすめします。
今、むしろ昨日やっていた人が最後勝ちますね。
スタンスを取ることが肝要とは?

スタンスを取ることが肝要とは?
結論、どんな副業をやるにしても個人の考え方や行動次第ですべてが決まるという話です。
やはり自己実現(自分が思い描いた未来を実現する)を行うには、
たった今できることをやるというのが一番の近道です。
ただ既に述べたように、具体的に○○という副業をやればいいですよといったものを提示するのではなく。あくまでも副業で成果を出したり、自己実現に繋がるヒントを話せたらいいなと思っています。

こんな考え方があるんだと思ってもらえれば十分です。
僕が思うに、個人が本業とは別の収益を確保しようとした時に必要なスタンスや考え方は以下の3つなのですが、
- 失敗するつもりでやる(行動力)
- 柔軟性(一つのやり方に固執するのはNG)
- 再認識(フィードバックや振り返り)※メタ認知
それぞれ解説しますね。
失敗するつもりでやる
副業全般に言えることですが。
極論、赤字を作りさえしなければ倒産や破綻する余地はありません。
なので、基本僕らのような個人が副業からビジネスを始めた人というのは極端に固定費を削減します。(確かに基本ではあるんですがあえていいます)
次に必要なのはパイロットプロジェクトの成功です。

これは要するにテスト的なプロジェクトのことで、コンサルをやりたいと思ったらまず一人顧客を見つけてその一人だけと仕事をしてコンサルを成功させる。みたいなニュアンスです。
再現性を作り上げることができたら、次はそれらを標準化して後はループを回します。
それらを続けていけば必然的に利益も出ますし、上手くいけば大きな成果も出せるでしょう。
複雑な要素を省いているので簡単に聞こえるかもしれませんが、
お察しの通り現実はここまで甘くはないです。
最初は人件費(固定費)の削減のために少数精鋭で戦う必要もあるかもしれないし、少ない人数で多くの価値を提供する必要があるかもしれませんしね。
いずれにしても、失敗はつきもので問題はみずから見つけ出し改善する連続だと割り切っているのが重要
***
ここまでの流れを俯瞰してやると、すべき事が多いのは明白です。
正直行動を起こすのも面倒に感じますよね。
ですが、とりあえず行動しないといけない状況に立っている今、どうにかして形にはしたいというのも本音です。
どうしたらいいものか?
失敗するつもりで行動しましょう。
なんなら、失敗を目指してもいいくらいです。
基本一発目に得られるフィードバックは失敗に終わりますから。
一発とは言わず、長くて数年失敗は続くものだと持っていた方がいいかもしれないです。
でも安心してほしいのは、失敗するのが当たり前の世界というのが分かっているのだから、
立ち回り方を知ればいいだけの話ですから。最終的に成果が出るのは目に見えていますよね。
なので、僕はリスクを減らしました(極端に固定費削減)失敗しても継続できるように。
成功と失敗は2者択一というより失敗を繰り返した先に成功があるといった、一連のルートになっていますから、行動のたびに失敗を恐れるのは不合理ですよね。

分かっていても行動できないのが人間らしい一面でもあるんですが
行動しなければそのままでいることを選ぶことになりますし。行動したら新たな可能性を掴みに行くことを選ぶことになります。
ただそれだけの話です。
初めから失敗を想定した方がいいのは、失敗することが当たり前の世界であること以上に、失敗の先に成功があるから失敗をするしか成功のルートは辿れないからですね。(語り尽くされていることを言うのもまた恥ずかしいですが)
気が付いた時には行動力がある状態になっていると思いますよ。
(似た話で、昔の話にはなりますが社会人の僕が読書をしたり自学をしていることに対して周りの人間が、「なぜ勉強なんかしているの?そんなのやったところで分からないのに」と言われたことがありますが、その時僕は「順番が逆じゃないです?だって、分からないから勉強するのであって初めから分からないと思って勉強しないのは_」相手はぐうの音も出なかったようで、この学習の例も同様に失敗することが前提です。)
柔軟性
柔軟性は重要です。
自分のやり方に固執してしまうと。
できる仕事も出来なくなりますからね。(本当に)

耳にタコができるほど聞いてるよと思ってましたが、基本問題に直面した時は柔軟性全く無くなっていることに気が付きました。だから、この話は分かってる分かってるでないがしろにしてた自分が副業をやる中で後々やっぱりこれが大切だったんだなぁ…と実感した要素ですね。
ある契約の話です。
コンテンツライティングの依頼を受けて、成果物を納品するときに問題は発生しました。
この契約自体継続依頼なので、
以前からお世話になっているクライアントとのお仕事だったのですが、
クライアント「○○の部分ですが___のように修正していただけますか?」
僕「了解しました!」
修正後、提出。
クライアント「修正ありがとうございました。あの…この部分を修正したら(同様のミスが発生している)ここも修正していただけないでしょうか?(というかそれが自然ですよね?)」
という流れに、
個人的に、あぁ…これは柔軟に対応できなかったな。(もっと考えればよかったな)と思った出来事で、これらに共通する事象が自分の人生単位で他の箇所でも発生していることにも気が付くようになり、
柔軟性って大切だなぁと痛感しました。(柔軟性に問題があるんだと気が付くのもにも時間がかかりましたがね)

あ、重要なのは。もしこれに気が付いても、自分は無能なんだと思う必要はないですよ。というか自分がこうなんだと評価を下すこと自体早計であって(自分が思っているほど自分のことは全然理解できていないのがほとんど)。
病は気からという言葉があるように、このような自分のエラーに気が付くとそのエラーばかりに意識が持っていかれて精神的な部分も作用してさらに悪化するということはよくあります。
今回の僕の柔軟性の発揮できなかったことによるミスは、根本的な柔軟性に乏しい性質のせいで別の部分にも問題が波及しました。ですが、それだけのことです。思い悩むくらいなら対策のための行動をとればいいですから。
副業などで柔軟性が関わってくる話と言えば、
一つのやり方に固執する
ですね。たった一人だけのクライアントや会社と一緒に仕事をするのはリスクがあるのと同様に、”やり方”も固執すると痛い目を見ますね。
なので、柔軟にやり方を変えていきましょう。
柔軟性に関しては結構重要なので次の章で更に解説しますね。
再認識
いわゆるレビューですね。Reviewです。見直しです。

レビューと聞くと、お店のレビュー(評価)みたいなイメージが強くて笑、何度も言い直してます。
これは、頭を使う作業であり、頭を使いたい作業といいますか。
最近はテクノロジーの進歩で人が頭を使う機会がどんどん減っています。AIの台頭なんかもその一つですがもっと身近な例で言うと、
ショッピングやお買い物、
特にECサイトでの商品の購入ですね。
Amazonなんかが分かりやすいかもしれませんが、何か新しいものを購入するときに。考えて選んでいますかね?
もちろん!という方がほとんどだと思いますが、
少なくとも僕はそうではなかった。
- 「ベストセラー」というステータスがある商品を自然と候補にしていたり
- まだまだ比較対象の商品は無数に存在するのに上位表示された数種の中から比較していたり
もちろん、この比較こそが頭を使うということじゃん!
といった意見もごもっともです。
数百種類もある商品の全部を比較しようとするなんてありえないと思うのが多数派です。
ですが、上位表示されるモノが、ベストセラーのモノが良いものであるという信念を頼りに思考を放棄しているのは事実です。
(※だからと言って商品はすべて視野に入れて検討しろというわけではなく、あくまでも一例で)
***
これと同じことを人生単位でもやっていることが問題ということです。

もう一度言いますが、レビューは頭を使います。
頭を使う作業というのは少なくとも、そこに意味が生じます。
たとえば、読書をするときもただ読むだけでは文章を追いかけるだけで頭に入りづらいのですが、一度立ち止まって目次で全体の主張の内どの部分の主張なのか?どういった論理構造をしているのか?この後はどのような論理展開がなされるのだろうか?
を意識するだけで理解度はグッと上がります。
副業でもこれを意識しているとしていないで差が出るのは明白で、
例えばクライアントに営業をかけるときに自分できる仕事をアプローチするだけではだめなんだとレビューしたときに分かったなら。過去の実績や納品までの具体的な期間を提示することも出来るかもしれません。
この再認識は、面倒ですが立ち止まって、頭を使って行ってみると結果が変わります。
僕はいつでもレビューしやすいようにGoogleスプレッドシート(無料)を使用するなどして独自で目標の進捗を管理するようにしています。
デジタルで扱いやすかったのでこの形に落ち着きました。
工夫して再認識ができるように設計してみてください。
続けるのは重要でも「馬鹿の一つ覚え」は痛い目を見る

柔軟性に関わる話の続きです。
続けることの重要性に関しては様々な論説が存在します。
かくいう僕も、良い面と悪い面の両方の意見を持っています。
ただ、「継続は力なり」だとか、稼ぐ人の習慣なんかの本を読むと毎日運動を習慣化しているなどといったことが述べられています。
世の中、誰かが発言をするときには良い面が語られることが多いです。(そこに他意があろうがなかろうが)
そうなれば受け手側は
「あ!そうか!継続はいいことなんだ!」
と考えて、愚直に継続をしようとします。

良いことだと思います。
ですが、最初は良しとして採用していた”継続”もいざ実践してみると。。
悪い面に気が付き始めます。(語られることのなかった悪い部分の方)
先に結論の部分を述べてしまうと。
僕が実際に経験したことなのですが、
副業を始めたばかりの頃の僕は副業の情報収集ばかりを行って行動が伴っていなかったことがあります。
でも、行動は行っていたつもりであったから抜け出すのに苦労しました。
自分で主体性をもって行動するということは(=考える)ということと等しいですから、例えば仮に新たに収入を得たいと考えたとしましょう。
この時に目ぼしい情報収集をしようとするのは想定できそうな行動ですが、
では、実際にその内容を実践するとなると得られた情報をそのまま実行するようでは形にならないことが多いです。
大抵そこには個人の置かれた状況と照らし合わせながら、自己流の成功法則を導き出さなければならないからです。
つまりここに「行動(=考える)」という行為が伴っています。
これらに気が付かないふりをして、

変化(挑戦)に恐れていたんですよね
ずっと情報収集をしていました。
「最良の稼げる手段はないか?」
「具体的に事業を立ち上げる手順は?」
そのまま数年が経過しました。成果は出なかったです。
分かっているのに行動しない。分かってないふりをして行動しない。
もっというと、今自分がとっている行動を継続すること(習慣)でいつかは成功できる。
地道なアプローチこそが重要なんだ!
と妄信していたのが仇となりました。
***
その後は、
さすがの僕も焦りを感じて行動を起こします。
「変えないと!」
でも、重要なのは急な変化は体に毒なので、少しずつ現状を変化させることを受け入れました。
(受け入れたと述べたのは、最初は全部変えることばかりに気を取られていたからです。最初から全部変えることなんて不可能なのに。だから小さい成功をつくることから始めました。)
ここではさすがに、考えながらの実行の連続です。
最終的に(早い段階で気が付いていても向き合っていなかった)発信の最適化が足りないことに気が付き。
覚悟を決めて今まで継続していた発信に変化を咥えました。
具体的には、発信と同時に記事に広告を付けました。(この広告をつけると、成果に対して言い逃れができなくなるから今までの発信にも広告はつけていなかった)

副業における成果として収益の増加が一つとしてあげられます。
つまり、この広告を付けることこそが大きな成長への変化であるのと同時に認知的リソースを大幅に消費する対象だったんです。
要するにここで道を切り開いて収益化するには多少なりとも苦労しないといけない自覚があったということです。
とはいえ、この土壌(発信)で続けていれば、それなりのところには行ける。
そう自覚していたということでもありましたので、変化をつけつつ継続はしていきましたね。
※ここで述べたような単純なことすら気が付かなかった。もっと正確にいうとこのことには早い段階で薄々気が付いていたが、逃げていた。なぜかというとものすごく頭を使うから。考えるという行為を行動経済学者のダニエル・カーネマンが「人間にとっての思考とは、猫にとっての水泳だ」といったのは有名ですが、考えることは出来ても極力考えないように生きている人間を猫にとっての水泳と言っていますね。
「主体性」という自分の人生を生きるシンプルな発想

これまでで述べてきた内容をまとめると
主体性という言葉に収斂すると思っています。
主体性があれば、誰かに言われる前に自分から動きますし、副業をやっているとそのような考え方になります。
僕の例をお伝えしますね。
副業というからには、本業と副業の両立を行っているのですが、
正直副業を始める前までの僕というのは、本業に対する考え方が「仕事が与えられるからそれをこなす」といった考え方で取り組んでいました。
そんな状況では成果も出るはずはなく、周りの同期の方が自分より成績がいいなんてことはザラにありました。
しかし、
副業では基本的に仕事を与えられるということは無く、自分で仕事を取りにいかないとダメです。
さらに、責任はすべて自分に帰属します。(例外もありますが)
そうなると副業においては自然と行動を起こしているものです。
「どうやったらもっと利益が出るのかな?」
「そうだ、顧客に与える価値を最大化してコストを下げる方法は?」(価格を上げなくても相対的に価格が上がる)
仕事が与えられるのを待っていると、生活できないですから仕方がありません。
このくらいの時期ですかね。
次第に本業に対する考え方も変わってきたのは、
言われる前に自分で考えて行動するようになりました。
はじめは上司との反発もありましたがね。

当時の上司は自分の指示を忠実にこなす部下を求めていた
ある種の駒のような扱いを当時の僕らは受けていたわけですが、(このような環境だからと上司のせいにするのは簡単ですがそれだけじゃないと思っています)
そんな上司からすると、「自分の頭で考える人」というのは厄介でした。
ゆえの反発です。
当時の上司は統率力という点において優れている方でした。その点は僕も買っていました。
ですが、上司が不在の時や休暇の時に部下はどうするの?(→電話で指示があったのだが)といった純粋な疑問が出てきます。
状況に応じて臨機応変に対応できる部下である必要があるでしょう。
とはいえこの問題は当時の人事部も悩んでいたので、ほどなくして異動になりました。
僕は別の上司の下で働かせていただくことになり、のびのびとした環境で働くことができました。
この上司は良くも悪くも放任主義で僕にはピッタリでした。
成果出してくれたら何も言わないよといったスタンスだったので、自分の頭で考えて動くことができるんですよね。
この時期にはすでに副業で「主体性」が多少は養われていたものですから(主体性が”あった”とは言い切らない、そう在れたらいいとは思うが)大変ありがたい話です。
今思うと、当時の人事部はこの状況を客観的に見て気が付いていたんだと思いましたね。
(※とはいえ、当時問題になった上司と険悪というわけでもなく。腹を割った話を何度も行っているので結構仲はいいです。仕事に対する考え方が違うかっただけという些細な出来事です。)
後に自分で動くことが多くなった僕は当時周りが主体性を発揮していない中、
結構な速度で成果を出すことができました。(自慢ではなく、あまり意識することなく主体的に動いていたことが評価されて業務改善案のプレゼンを任されたこと。そして会社の社長や重役の前で発表の機会を設けてくれたことが非常に光栄だった。)

純粋に嬉しいと感じた瞬間でした。特にこの時貰った賞はある意味自分の成功体験で今まで積み重ねてきた自分が肯定された気がして、更に高揚しました。
(承認欲求ってこれを求めているからあるんだと思うと、納得いくものもある。それくらいうれしかった。それまでは別に他人に認められることより成果が欲しいというスタンスだったので)
ツバメの雛は親に餌を与えられなければ生きていけないと思いますが、
ツバメの親は雛が巣から落ちたら最後、見向きもすることなく放置です。
ある意味会社の縮図ですよね。雛鳥思考のような人間がいるのも事実ですし。
とはいえ、皆さんは違います。なぜなら僕のブログをここまで読んでいるという時点で情報収集を行っていますから。
情報収集も立派な主体性です。誰かに言われて副業を始めたいとか誰かに指図されて情報収集を行っているわけではないでしょう?
雛鳥思考で仕事をするのではなく、自分から動ける人になった方が自分で選ぶことになりますから。自分の人生を好きなように生きれますよ。
まとめ|経験することでしか得られない情報はやっぱり価値がある件

これまでの話を通して伝えたい。というか主張したいことでもありますが、
やはり、経験に勝る情報はないなと痛感させられます。
例えば、「副業で稼ぐ方法!」のような方法論を語る記事があったとして、そこで得られる情報も確かに価値はあるとは思いますが。
重要なのはそこではなく、
それをどう自分流にアレンジして形にするのか。です。(アレンジの過程で経験が活きる)
個人視点で世の中を見たときに、やはり自分で ”見て体験” したものというのは身になりやすい気がします。
同時に、稼ぐ方法を知ったとして必要になってくるのは自分の身になるレベルまで落とし込む必要があるという意味でもやはり経験は人にとって欠かせないもの。
知る→考る→説明できるレベルまで落とし込んで→行動→知って→
これの繰り返しだと思います。
抽象度の高い概念というのはそこにたどり着くためにエネルギーを使います。(むしろたどり着けないことの方がほとんどなのですが)

変な言い回しなのは、僕が感じていることをそのまま伝えたくて、直感的に言語化しているからです。とはいえ言語に変えている時点でノイズが混じりそうな気もしますが、おおむね純度が高い、正しく表現できた気がします。
言いたいことは、「上で説明したループを繰り返して経験とともに学ぶ」なのですが、
補足程度に以下も述べておきたくて。
これらのループは確かにたどることで色んなものが身になるのですが、
人間としての機能の一部である感情を犠牲にすることがしばしばありまして。
やっている最中に感情が無くなってきます。無感動?無感情?どう表現するべきなのか自分の語彙力が恨めしいですが。
要するに、次第に日常になって当たり前になっていきます。
こうなった時に変化を加えた方が良いなというのがわずかばかりのアドバイスですね。(2~3割程度の変化)
なぜかというと、この感情が無くなったタイミングを境に記憶への定着度合いが著しく低下する傾向にありました。
日常というものは本来、ものすごい情報量であるのが想像できるかと思います(ましてやテクノロジーが発達した現代)
自分が副業をやるなかで得た情報や知識、経験などの記憶の定着にはこれらの日常の出来事すらも関連づいていたような気がします。
でも、
人は無感情になると、この恩恵を享受することができなくなるようです。(個人差あるかと思いますが)
なのでこのあたりは意識しつつの方がいいかもです。
とはいえ、無感情になることを目指していたという話もまたありまして、
理由は感情は昂ると、行動にまで影響してくるからです。
「面倒だぁ…」
とおもえば、副業に取り掛からないかもしれない可能性が上がるということです。ゆえに除去したかったです。(稼ぎたければそれに至る行動をとれば稼げるのに、自分で無意識に行動に制限をかけているんですよね。)
ですが既に述べた通りに代償(結局身にならない)がありますのでご注意を(皮肉すぎますよね笑)
やっぱり人間は単純ではありませんでした。(でも、どこか楽観的に評価してしまう部分がありますよね。例えば今回の例のように感情を切り捨てて行動すればすべて上手くいくと思う一つの可能性しか考慮していない結論も間違いじゃないと疑わない自分もいましたし。もっとも、ここで疑うことこそ頭を使うことに他ならないからここでも逃げていたのかもしれないですがね。)
コンピュータのような「0と1」で制御できるものじゃないというのを痛感しつつ、完全がどういったモノなのかは到底分かったものではありませんが、不完全ながら足掻いてみようと思います。
書籍ベースの記事
少しばかり報告。
最近は書籍ベースの記事がかければなと思っています。
客観視できる要素があった方が信ぴょう性が増しますしね。
目指したいのは、書籍の解説という大層なものではなくエッセンスを抽出しながら自伝哲学みたいな立ち位置で話せると良いなと思っています。

このブログ自体趣味なので好きにやらせてください 笑
書籍の解説チックになることもしばしばあるかと思われますが、ご容赦頂ければ幸いです。
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