コミュニケーションをもっと上達させて仕事の人間関係もプライベートも充実させたいです
最近書店に出向いた時に面白い本を見つけました。
たまたま手に取った本でしたが内容がものすごくよかったので軽く紹介したいと思いました。
正直、内容を目で追うだけでも考えさせられるなぁと、
いわゆる「思考のフレームワーク」「思考法を伝授する」ようなありがちの書きっぷりではなく、哲学チックに振り切った著書でした。
哲学だからといって難しく感じる必要はなく、日本人であれば読める内容だとは思いますので是非手に取ってほしいなと思います。
テーマは「正しい質問の仕方」について、
400ページ近くの厚めの書籍となっており読み応えあります。
ここだけを聞くと、コミュニケーションの上達をしたいといった人用の知識か、
そう考えるのが自然かもしれませんが、活用方法はそれだけじゃなく、
自分の思考に対して質問を投げかけることで、より深い部分まで探求できる。
有意義な思考作業を実現することができるといった活用方法もあったりします。(僕個人としては最初ここを目的に購入しました。)
本書の狙いとしては先ほども述べたように正しい質問の仕方を学ぶための本であるので、
相手ありきの話になってきますが、
相手に向ける質問が上手くなると自分に対する質問も上手くなるだろう
という結論に至ったので、今回は2つの方向性で話を進めていきたいところ。
- より深い質問で人間関係を良好に
- 自分の思考に疑問を投げかけて人生において良い選択を行う
- 最終的に価値観を明確にして自由に生きる

「真の知識は”対話”でしか得られない」
本書の冒頭では哲学の父とも呼ばれているソクラテスの物語から始まります。
彼の考えに知識とは対話無くしては正立しないというのがあります。
好奇心で本を読んだり、気になったことをネットで調べるといったこの作業。一見、学習意欲があって好ましいように思いますが、
彼の言うところの知識の神髄は対話に在ります。
つまり、知った後に頭の中で考えたり、考えた末に答えにたどり着いたり。コミュニケーションであれば純粋に相手に質問を投げかけたり(この時自分の意見を混ぜ込んだ質問はNGとされている)することが大切とされています。
たしかにこれは自分も反省点かもしれない
僕もこのサイト運営の初期の頃なんかは特に、一文一文ここまで対話できてなかったなと思うことがあります。
良い本というのは、たった一文を読み飛ばすだけでもその後の論理の展開がつかめなくなるような、ワンセンテンスにぎっしりと情報が詰まっているものなのですが。
僕は願わくばそこを目指したいです。
これも主観的な話になりますが、そのほうが誰かがこの投稿を読んだときに伝えられるものがもっとあると”思っている”からですね。
また、なんだかんだ読んでいて思ったのは、
子どもの頃に得意だった学校の授業なども、当時は自然と思考が働いていたような科目がほとんどだったと再認識もさせていただいたので本書はその点においても説得力があるなと思いました。
当時のことを想起しながら思考力を研ぎ澄ましていきたいですね。
一応、この記事に関する内容に触れている配信があるので、参考にしていただくと。
とはいえ、読んだ方が早いと思います。
※注意:音声が再生されます。
アテンションエコノミーに要注意

少し本書の内容とはズレてしまいますが。
というか、結論本書ではここは述べられていません!
ですので悪しからずです。
本書を手に取った時に僕がこれと相反する部分にある概念について考えていたことを共有したいです。(エゴです)
誰でも考えそうなことで恐縮ですが、
インターネットの発達で現代人の思考力が(思考する機会が)徐々に減少しつつあるという懸念点です。
後に紹介する、”自分との対話” という概念の部分で、アテンション(注意)が他の箇所に逸れている状態が、どれだけ対話の妨げになっているのかを考えると、軽くでも良いので触れておくべきかなと思ったので紹介しています。
特に現代人は、1つのことに長時間集中するというのが苦手。
***
ちなみに、現代人の注意力低下に関して、明確な裏付けがあるかというと(今から述べるデバイスの影響かどうかの)相関はよく見られるが因果があるかどうかは言いきれていない状況。
理由は以下の通り___
いくつかのレビューが、「注意集中力が変わってきている」「記憶力・ワーキングメモリ(短期に処理して保つ能力)」に影響がある可能性を指摘しているという事実はある。
- インターネット依存症が注意持続、ワーキングメモリ、記憶の定着に悪影響
- 複数のメディアを並行して使う(マルチタスキング)ことで注意切り替えのコストをあげる
- 主観でも「注意力が落ちてきた」「忘れやすくなった(思い出すのに苦労する)」といった感覚を持つ人が多いといった報告例
しかし、測定方法が(自己報告アンケート、行動実験、神経心理学的テスト)バラバラで曖昧な部分があったり、年齢による影響も無視できないのでデジタル化が注意散漫をもたらしているという因果までは分かっていない。
故に現代人だからと言って、注意散漫と言い切るのも無理があるのですが。
とはいっても、脳の活動の一部を肩代わりしている気もしていたり、スマホの普及は何らかの影響を我々に与えているのは何となく感じざるを得ないのも事実で。
影響があるものとしてそれなりに向き合った方がきっといいであろう!
とは思いますので。
また、注意力低下すると本書で紹介される対話の機会(じっくり考える)も逃すことになります。
せかせかしている人だったり、判断が早計だったりすると間違った決断をすることが多くなります。
昔から急がば回れといった言葉が残り続けているのにも意味があると思うんですよね。
情報あたりの単価が安く膨大
現代はたった数日で江戸時代3年分の情報が生産されているという事実があるらしく、、
ここだけ聞くと少し驚きですよね。
突然ですが、皆さん引っ越しを経験したことはありますでしょうか?
引っ越しをしている間はネットの回線がしばらく使えないといったことがしばしば起こりえます。
こんな時、回線の使用量に制限がかかってしまうだけでも少しソワソワしてしまうといった感覚を体験したことありませんでしょうか。(回線無制限プランじゃない前提)
そうはならないだろうと、述べる方もいましたが、意図的に使わない状況とは違って、使えない状況になると結構キツいものですよ。
動画の再生に時間がかかるとイライラしてしまったり、
それだけ現代人は情報に飢えています。
とはいえ、電気ガス水道といったライフラインとほぼ同等で扱われているインターネットですから、日常生活に在るのが当たり前の存在になっているため、これは仕方がないことでもあるとも思っています。
インターネット依存症と呼ばれる、ちょっと僕も該当するのではないか?と不安になりそうな不穏なワードなのですが、
これを助長するのがアテンションエコノミー。
経済をうまい具合にまわしてくれているんだと考えると否定できない存在ではあるし、その利益を享受している僕もこんなことは言いたくないのですが。
思考作業においては付き合い方を考えなければならないと思っている。
アテンションエコノミーとは
ポイントとなるのが”アテンションエコノミー”という概念です、今や人の注意力を奪うことでお金が稼げる時代です。
例えば僕が本を読んでいる時に、、「ピロン(通知音)」とスマホからこのような通知が入るだけでも、アプリ等のインプレッション(滞在時間)がのびて企業の売上に繋がったりする。簡単に説明するとそんな話なのですが。
これらの存在はその名の通り、人間の注意力を奪うわけですから本書の熟考する時間や思考を深めるための阻害になりえますよね。
もちろん一概にこれが原因というつもりはありません。
なので、これで仮に世の中の経済が回っているとはいえども、
とらわれすぎないようにするといった姿勢を今後取り続けた方がいいというのが僕個人の感想です。
色んな対策は誰でも出来るかと思います。
実際、(使っていない)アプリの削除やスマホを遠ざけているだけでも自分の時間を守ったり、注意力切り替えのコストを下げたりすることはできるのでおすすめ。
主観で恐縮ですが、一日の休暇がもらえた時に活動する内容を絞って少なくするほど充実したなと感じることが多く、1つの活動に集中できているというのが直結していると思っています。
実際こういった活動(自分がやっていて楽しいと思える活動を見つける必要がある)を行った後の仕事のパフォーマンスはグッと伸びる実感もありましたので試して欲しいかもです。
そんなアテンションエコノミーですが、今後は適度に付き合うを心がけてこれらの存在を代償に思考を深めていきたいと思っています。
対策法は”情報の速度を落とす”
本書では思考を深めることが推奨されていますが、これらもアテンションエコノミー対策には効果を発揮しそうです。
あくまでも思考を深めるのが目的であるというのは念頭に置いていて欲しいのですが。
ここを目指していると自ずと、目先の利益にとらわれなくなるのではないか?とも考察できますよね。(衝動的になりそうなときに理性が働くとブレーキをかけることができる)
情報の速度を落として、効率”悪く”哲学チックに考えることが推奨されています。
これが今の現代人に求められる、というか出来ると他の人と圧倒的な差が身に付くということです。
ただ、何も僕はここで皆さんがそうなればいいとか、是非お願いしますといったことが言いたいわけではなく、
現代人にとってデジタルデバイスは多少なりとも必要なものです。引き続き使っては欲しいところです。(言われるまでもなく、だと思いますが)
具体的な方法に関しては次の章からじっくりと見ていきましょう。
ここまでで、ちょこっとワーキングメモリ(短期記憶)について触れましたが、以下で紹介するのはじっくりと考察する能力です。ワーキングメモリのようないわゆる短期の記憶力が備わっていると思考作業も捗ります。頭の中で記憶出来ているものしか処理できないのは必然的ですし、その容量が増えれば増えるほど長期記憶にもつながります。なので両方にアプローチを仕掛けると最強かもです。
QUEST流|思考を深めるために知っておいた方がいいこと

普段生活をしている中で、
「さぁ、思考を深めよう」
みたいに、じっくり考えてみようと思う機会は少ないかもしれません。
何か一つのテーマについて悩むことはあっても、”考えることそのもの”を目的に据えて頭を働かせる機会は少ないのではないでしょうか。
かくいう僕も御多分に漏れず、普段は常に思考が働いているわけではなく習慣や無意識で動いています
今回は理性を働かせるわけですから、少し意識的に起動させないと使いこなすことすらできませんよね。
※これは個人的な見解ですが、普段から理性を働かせるということに意識を向けると、普段学習している分野の知識の定着がスムーズになった気がします。脳に血流がまわっているんでしょうかね。
頭を働かせるだけで色々なメリットを享受できるというのは結構おいしい話で、
少しでも時間を見つけたら理性を起動すればいい。通勤中でも、入浴中でも、どこでもできるトレーニングみたいな感じですよね。
そんな理性の筋トレですが、これらを妨害するものも存在します。
大半はこれらの妨害のせいで僕らが理性を働かせる機会を逃しています。避けることで理性を働かせる時間を少しでも多くしましょう(常にというのは色々困難だと思うのであくまでも時間を増やすという方向性で良いかなとは思っています)
要因は6つに分かれます。
- 人はそもそも自分の話をしたがる
- 尋ねるのが怖い
- いい印象を与えたい
- 客観性の欠如
- 忍耐力がない
- そもそも方法を知らない
人はそもそも自分の話をしたがる
一番の原因はこれじゃないでしょうか?
この自分の話をしたがるというのも、自分が話題を持っているパターンと相手が言っていることに対して自分の価値基準で判断を下し、あれこれアドバイスのつもりで助言を行ったりしまうことが問題です。
判断が遅いっ!というセリフは有名ですが、遅くてOKというかむしろ判断しなくてOKです。
判断は思考の天敵で、考えてみれば非常に単純なことだと思うのですが、例えば商品の購入を検討するとき比較対象があった時購入するまではあれこれ考えます。ですが、選んでしまえばそれ以降はそれに対して今まで以上に思考を使わなくなります。
これはあくまでも分かりやすくする例えなので、
他の場所でもたくさんその機会が訪れています。人間はこれらの作業(思考)が面倒だから習慣を形成するというのがセオリーらしいのですが、確かに納得ですよね。
普段生活している環境下では、出来るだけ考えることを少なくできるように遠ざけています。
常に考えながら過ごしているよ。そんなことを述べていた人もいましたが、そんなわけがないでしょうと内心思わざるを得なかったですね。
無意識下で起こる出来事なので意識しないと認知できないんですよね。(無意識を意識できるのかという問題もありますがそこは置いておいてください。)
そんな判断ですが、深い思考やコミュニケーションを行う上では一旦眠らせていた方が賢明という話です。
判断をしてしまうとそこから自分の言いたいこと(自分が正しいと思う信念)を相手に発言の間を与える事無く話し続けてしまいます。気をつけているつもりでも相手が話している最中に話をさえぎってしまったり。
「あー!それね!確かに僕も___」
いわゆる”頭のいい人”というのは人の話を聞くらしく。ゆっくり聞いて、良い間合いをとって核心に迫る疑問を投げかける。
すると相手というのは話しやすいですから。
このように、彼らはいつもコミュニケーションの主役が相手になっている話し方をしていますよね。(ここに至るのが難しいのですが)
尋ねるのが怖い
人生で重要なことの多くは、脆弱な領域に位置している_
エルケ・ヴィス
確かに。。
意味のある事って大抵辛かったり、乗り越えた先にはものすごい達成感があるのは分かってはいるけど、
現実をみるのはそれなりにリソースを使いますから、避けがちです。(=忌避している)
これを本能的に分かっているのか、
相手の核心に迫る質問をするのを恐れてしまっていると深い質問や思慮深い会話は生まれない。
不快にさせてしまわないだろうか?といった気遣いから生まれるものだと思います。
とはいえ、自分基準で相手にきくのは不快にさせると判断していては一向に関係が浅いままだ、だから自分の軸で判断せずに尋ねてみよう
というのが本書での論調です。
恐らくこの手の話題は当事者も色々考えて質問すると思うので、そういった気遣いが相手に伝わって関係が良好になるという考え方もあるのかもですね。
良い印象を与えたい
皆さんはどうですか?
八方美人を目指していますか?良く思われたいですか?
こんな投げかこそ、ある意味嫌われる(=核心に迫る質問で相手にとっては脆弱な領域)質問なんでしょうね笑
とはいえ皆さんは大丈夫でしょう。
自分の軸がしっかりしているので人にどのように思われようが、ご自身の人生を歩まれている(=自分で判断している=自信がある)ので相手の評価など気にも留めないはずです。
ですが、良い印象を与えたいと少しでも思ってしまうと人は慎重になり、
うわべだけの薄っぺらい会話しかできなくなります。
何年も付き合っているはずなのに、上辺だけの会話で終わってしまう。
初対面かよと突っ込みたくなるほどに気を遣って愛想笑いしてくる人がいたり。
そういう人と話すときは正直僕もガッカリしますよね。
また、なにかに対して「分からない」と述べることや、「今自分の中で答えがまとまっていない」といったような発言ができないのも、良い印象を与えたいを与えたいと思っている人の特徴だとか。
分からないと述べること自体が”良くない”といった論調でしたが。この部分に関しては内心腑に落ちていない。
客観性の欠如
人間である以上もう仕方がない部分なんじゃないのかな?というのが僕個人の意見(判断)ですが、
やはり客観性が不足してしまうと深い質問をする上でもマイナスに働くようでして。
コミュニケーションにおいて客観性が欠如するタイミングといえば、結構思い当たる要素がありますが、中でも自分の意見を否定された時に顕著に出ると言われています。
確かにそうかもしれない
一般的に人間というのが自分の考えている事や自分の信じる価値観が全てと思い込んでしまうようで、仮に事実としてそれが間違っていると突きつけられてもその時は都合よく見て見ぬふりをして心の平静を保とうとする。
本書の言葉をお借りするなら、自分が聞きたい事が聞けるまで現実を拷問する。
まさにピッタリの言葉かもですね。
忍耐力が無い
自分の中で判断を速めてしまったがゆえに、すぐ気になったことを聞いてしまう。
すぐに思いつく疑問(=深く考えられていない浅い質問)
一概にすべてこうだとは僕は思わないし、直感的に生まれた疑問が本質を捉えていることもあるとも思う。
***
少し、というか一年以上前のことなのですが。
離婚するかしないか、するとしてじゃあお子さんの養育費はどうするのか?
といった狭間で悩んでいる知り合いの話を聞いていました。
それなりに考えて質問をしていたつもりではいたが、改めて思うのはもっと吟味しても良かったのではないか?
そう思いますね。
勿論、当事者ではない僕ですから、そこに情がのるわけでもなく(だからと言って冷たくあしらったわけではないですが)
自分の主観で感じた事や意見を述べていました。
ただ、そういった話を持ち掛けてくる人に限ってそれなりの判断は既に行っているもので、その前後で思考が邪魔をしているんでしょうね。
***
僕がこの時に行った質問の中には、話を聞いてそして即座にレスポンスをして、といったテンポよく会話を行って。浅い表面上での思考で完結していた可能性が大いにあり。
僕に忍耐力があればもっといい方向に導けるのかもしれないですよね。
本書では解決策として、1分その内容に関して考えてから質問をしてみようと推奨しています。
確かに、これを意識したら少しはましになりそう
今後は僕も心がけてみたいです。
そもそも方法を知らない
これは難しい現代の課題です。
環境が悪いんだと言いきれしまう部分も多少なりともあるので、そうなれば対処の行く末が他人事になる可能性を孕んでいるという意味でも
(自分事と捉えない限り人は問題に真剣に向き合わない。システムが悪いことがそれを助長している。深い質問ができないのはあなただけの責任じゃないという構造が出来上がってしまっているから、結果的に個人の姿勢が試されていることになっている。)
だから、”難しい課題”です。
で、そのシステムの問題というのが、
学校教育の話を例に、というか学校教育以外例があるかと言われると、、、あぁ、職場のOJTとかもそうかもですね。
そもそも大勢の人間を導こうと思うと「答え」があった方が都合がいいのは百も承知で、(システムのバグを解消する上でここがボトルネックなのでしょうが。)
学校の先生さんたちは「答え」を持っていて生徒たちの学力を測定しているわけですが。
「答え」が存在して、そこにたどり着こうとすることは考えること(※自分で考えること、批判的思考を養うことを指していて答えの無いといに対してどれだけ疑問を持てるのかといった概念)の妨げになるというのが本書の主張だと僕は取れました。
この本を読んだ人それぞれが自分の考えを持つと思うので”取れました”とさせてください。
その教育サイドにいる立場の人たちも、いざ批判的思考を養ってほしくて色々切磋琢磨してくれている。
(※シンガポール、マレーシア、レバノン、日本あたりで教育カリキュラムに取り入れたという事例がある)
が、端的に言うと、問題点として挙がるのが自由に考える事を教えるのは難しい。やはり教えるサイド主観での答えを生徒に押し付けてしまうことになってしまう。
結局は個々ひとりひとりがそのような姿勢を自らとることが重要なんですね。
そもそも方法を知らないのは。仕方のないことなのかもしれないですね。
じゃあどうしようか?
今までの生い立ちの中で質問することや疑問を持つことに対してどんな価値観を抱いてきましたか?という本書の問いかけに対して答えを見つけようとする(姿勢を持つと)と見つかるのかもしれないですね。
相手との対話編|コミュニケーションの上達

対人関係におけるゴールを親密になることとして話を進めます。
本書にで紹介されている内容はごくごくシンプルで、一言で言うと
「相手の核心に迫る深い質問を投げかける」という部分に収斂します。
ただ、深い質問がどういったものなのか?イメージが付きづらい部分も多いです。
実際にどのようなポイントを意識すればいいのでしょうか。
***
いくつか紹介させていただきますがその前に注意点を、
相手の核心に迫る質問というのは、時としてデリケートな部分に触れる場合がしばしばあります。
なので、試す際には一定以上の覚悟が必要ということだけ念頭に置いておきましょう。
著者の場合、哲学を専攻している仲間との会話で苦い経験をしたと語っていました。
相手は訊かれたことに対して怒りをあらわにしていたようで、、我々は可能な限り避けたいところですよね。
しかし、相手の反応(この時は怒る)というのは相手次第でもありますから。
例えば僕たちが「この人とはもっと仲良くなりたい」と思った相手にこそ踏み込んだ質問は心がけてみるという姿勢は大切だと思います。
仮に相手がそこで愛想を尽かしてしまうようであればそこまでの人だったということですし。
当然、親密になろうとして踏み込んだ質問をするというのが前提ですよ。
あからさまに、悪意があるとか、そこに ”このように応えて欲しい” といった意図が介在していたり、
誰から見ても失礼と分かるような質問は論外です。
***
質問には、「態度」、「条件」、「技法」の三つの要素があり、
態度と条件で基盤を作ってようやく技法を学べる。とのことです。
基礎をしっかりしていないと、テクニックだけだと付け焼き刃になるのでしょう。
コミュニケーションに必要な「態度」
軽く本書で「質問の態度」と述べられている、質問をするための(相手との対話のための)要素を紹介しますが、根本的な部分は一緒なのかなと感じました。
- 「自分は何も知らない」という態度で疑問をもつ
- 不思議の感覚を大切にする
- 好奇心_本心から「知りたい」と思う
何となく共通点がありそうですよね。
ここでは一部しか紹介しませんが、この後ろに更に続いています。
とはいえ、この三つが喫緊で重要だなと判断したのでこのあたりの話を本章では行いたいです。
コミュニケーションをとる際に、例えば上司や先輩、友達でもいいです。
何か純粋に分からないことがあった時に「それってどういうことなんですか?」と尋ねるとほとんどの人が色々話して教えてくれます。
この分からないという状態や、
知らないんですという姿勢が、
僕らのコミュニケーションの潤滑油になってくれるという話です。
この一言で、さっきの要素の全て(知らないという態度、不思議、好奇心)の説明ができる気がしますよね。
まず、一つ目の知らないという態度で重要なのが、
大半の人は多くのことを知っている理解していると思い込んでいて、そういった姿勢はやはり会話の中で結論を急いでしまったり、相手の話を聞かないことを招いてしまいます。
驕りは禁物ってやつですね。
防ぐためには逆に反対の立場をとればいいというわけです。
ちなみに、こういった”ソクラテス的な立場”はメリットがありすぎますよね。
疑問や好奇心を持ち続けている人の方が、すべてを知っていると思い込んでいる人間より学びが多いから最終的にそういった人の方が高みに近づいていけるのは必然的でしょうから。
次に、不思議という感覚や好奇心について、
これって難しいですよね。僕自身大人になるにつれて好奇心が薄れていくのを実感していました。
子どもには天性の好奇心がある。
エルケ・ヴィス
では、なぜ私たち大人は好奇心をうまく持てないのだろう?
それは、実際には何も知らないのに、知っていると思い込みたがるからだ。
耳が痛いですよね。僕も知らず知らずのうちに強がっていたんでしょうね。
さて、対策法ですが、”自分は初心者、相手は専門家”だと思うと効果的だそうです。
試します試しますとも。ありがたいですね。
確かに相手が専門家レベルだと、自分が詳しいと思っている分野でも専門家でない限り圧倒的に相手の方が詳しいでしょうし、もし仮に自分が何かの専門家だったとしても、同じ分野の専門家と会話をしたときに違う視点をもっている可能性は大でしょう。
いい対策法ですよね。
紹介した内容を意識するだけでもコミュニケーションがうまくなりそうな予感はします。
一概に言えないのが人間関係ですが、そこは人と関わる中で慣れていくしかないですね。(学問に王道は無いのと似ています。)
ただし、筆者もこの章の冒頭でも言っているように、
純粋な疑問は時として相手の神経を逆なでする場合もありますので、質問には多少なりとも勇気が必要です。慎重にいきましょう。
深い話題を共有できる人間関係ほど親密なものは無いかと思います。
ずっとつるんでいるのに、張り付いた笑顔。表面的な会話。その場にいない第三者の話ばかりで深い話ができない。
悪いとは言いませんが、僕は御免です。(僕はなので皆さんは分かりません)
気疲れしますよね。肉体的な疲労よりこっちの方が圧倒的に疲れます。
ただ、面白い奴ってやっぱり居て。
中でも、純粋にツッコミが秀逸すぎて、心から笑ってしまう人と、
頭が良く、言葉のキャッチボールの中で色んな視点を与えてくれる面白い(興味深い)人です。当意即妙、ウィットに富んだ。みたいな言葉がお似合いの人。
僕はそんな人に出会えて幸せ者ですし、学びたい事もたくさんあります。
ちなみに最近出会ったツッコミが優秀な友達は、もともと芸人志望だったそう。納得です。
相手にとって都合の悪い事実を突きつけた時も突き付けられた時も互いに対話の中で認め合って、高め合える関係ほど最高なものはないでしょう。
コミュニケーションに必要な「条件」
結論、聞き上手になれるようにしましょう。という話です。
他にも要素はありますが、主となるのがこの話。
聞き上手になりましょうというのは、言うは易く行うは難しですよね。でも一応ガイドラインはしっかりとありまして、
脳内で”視点”を意識しましょう。
自分と相手と私たちの3つの視点です。
僕を含め多いのはいつも自分を主語にしてコミュニケーションを行っているスタイル。
相手が、「昨日○○ってタイトルの本を読んだんだけど」
といったら、脳内で「(あ、あの本か似たようなタイトルで〇〇もあったよな?確かあれは_)」のように、、
自分の経験に基づいて話を繰り広げようとします。
次に二つ目の視点、相手はどのように考えているんだろうか?という視点で相手に意識を向けます。
そうするだけでも、相手の話を聴こうとしますよね。最終的には私たちは?という視点に切り替えるという流れなのですが。この「わたし」と「相手」の二つをいききするだけでも聞き上手の態度は取れるのかなという話で、
何も自分の思考ばかりにとらわれるのが悪ではなく。視点を切り替えてやれば深い洞察が得られるよということですね。
***
他にも、言葉を大切にする、許可を求める、フラストレーションを許容する等々…
要素としては豊富です。
一つ一つ意味やストーリがあり濃い内容でした。
都度述べていますが、許可を求めるというのがソクラテス的な態度で質問すると相手にとって苦痛になる事があるので、
事前に了承を得てから聞くというスタイルで行った方がいいよと述べています。
「そんなことするの?」
と思うかもしれませんが、そこはスマートに確認を取ってしまいましょう。(理由とセットだと了承貰えます)
ソクラテスも徳を教えることができるという”ソフィスト”に対して行っていたらしいですよ。
気になる方は本書を手に取ってみてください。(さすがにすべては話せない)
コミュニケーションに必要な「技法」
ソクラテス式問答法にはコミュニケーションが上達するテクニックなんてありません。
当然と言われれば当然なのかもしれないですね。
教えることができるテクニックになっていれば誰もコミュニケーションに困る事は無いですし、
また、性格、経験を含め人は人それぞれなので万人に共通して使えるテクニックというのもそう多くは無いでしょう。
ただ、対話の本質を捉えたソクラテス式問答法。これはコミュニケーションを大いに進歩させます。
会話におけるフレームワークとして実践的なのが、「上向きの質問と下向きの質問」です。
結局これがテクニックじゃん。と思わなくもないですが、これを使うには自分で質問を考える必要があるので頭を使います。
これだけを聞いても。「ん?」と疑問符が出るだけの人が多いので付け加えると。
相手の考えや発言に対して、抽象的にする質問を投げかけたり具体的にする質問を投げかける。
これだけで「対話」(=深い質問が出来るので有意義なコミュニケーションがとれる)がやりやすくなります。
例えば、、
- あなたにとって〇〇というのはどういったモノですか?(抽象化)
- ○○をやってくれる人がなぜ優しい人なのですか?(具体化)
- ○○とおっしゃいましたが、それは何を意味するのですか?(抽象化)
- そのように考えるようになった出来事があるのですか?(具体化)
あくまでも例なので、状況に応じて質問してみましょう。正直このように尋ねられると嫌でも頭が働きますよね。
ちなみにおすすめの順番は下向きの質問をして上向きの質問をすると発見があるそう。試してみてください。
***
質問はテニスみたいなものだ、
質問を行った後は必ずレスポンスを貰おう。自分が質問ばかりしてもダメですし、相手が質問に対して答えになっていない回答を返してきてもダメです。
これらを避ける事例が回避策としてあったり。
質問のオープンクエスチョン/クローズドクエスチョン(俗に言うYesNoで応えれるか否かの話)に対する誤解など、本章では色々述べられていました。
哲学入門チックな本書ですが、コミュニケーションの入り口としてソクラテスの知恵を借りるだけで実践的に哲学が学べそうですね。
ひとまず、ゴールは相手との「対話」。一方的にお互いが「独白」を繰り返すようではコミュニケーションにはならない。
また、難しい言葉を使って(概念をひとまとめにしてくれる名詞は便利なのは僕も共感する部分が多いのですがね)相手に伝えようとしても面白いのは話し手だけで相手には伝わらない。
(というか相手は相手で皆さんがこのゴールに達したときに、あなたと同等の水準に居るかと言われると怪しくて。このQUESTを読んでもらって一緒に練習する必要があるんじゃないかとも思いますが、それもまた難しい話で、ただその点に近い話も本書では触れられており。自分の気持ちに素直になってOKという。安堵する回答がありました。つまり、一緒にいるだけで消耗するような相手にはソクラテス的な対話を行う義務はない。自分が一緒に話していて気分が高揚するか否かの指標は自分を知る上でも重要ですからね。ただ、僕の勝手な考察ですが、著者は同時に、批判を行ってくる相手だろうとそういう人との会話は発見がある。だからこそ相手が自分に関心を持っていなかろうが、自分が関係を維持する上で成長があるのだと思うなら「対話」を行ってもいい。)
自分との対話編|価値観をクリアにして有意義な人生をおくる

ついに来た!!この本を手に取った僕の目的はこれだ!!この手の本がこの話に触れない訳がない!
相手とのコミュニケーションも大切ですが、同時に自分との対話も大切、というかこちらの方がもっと大切なんじゃないか?と内向的な僕は思うわけですよ。
本書では ”相手” ありきで疑問を持つことについて語られていましたが、
”自分”に疑問を持つことの重要性にも触れていますね。
自分と向き合うのがなぜ大切なのか?と言われると人それぞれ色んな意見に分かれると思いますが、
自分の価値観などと向き合ってやると、余計なもの(=どうでもいい人の助言)に振り回されなくなるからです。
指針があることで、「あ、この人のこのアドバイスは別に聞かなくていいかな」と割り切ることができたり、線引きができるので心が楽になったりします。
もちろん色んな人から学べることは沢山あると思いますが、玉石混交で仮にすべてためになる物だったとしても取捨選択を自分でしない限り活かすことができません。
自分の考えは果たして正しいのだろうか?問題
僕も知らぬ間に相手の意見に対しては懐疑的になるのに、
自分の判断に対しては疑うことなく正しいものだと”思い込んで”行動してしまっている。
ということに気が付かされました。
正解/不正解 というのはもちろん初めから分かるものではありませんが、
疑う姿勢を持つことで少しはその対象に意識を向けるし頭を使うようになると思うんですよね。
確実に知っていると思うことを疑う勇気をもち、知らないことを受け入れよう。
エルケ・ヴィス
大人の好奇心が薄れてしまうのは、自分は知っていると思い込みたがることが原因と言っていましたよね。
「知らないことを受け入れよう」はその対策にもなるので妙案です。
自分の思考は疑うことなく受け入れがちなので、少しでも疑う姿勢を持つことで良い行動が起こせたり、抽象的ではありますが人生において結構プラスに働くと思います。
ここまでで正しい疑問の持ち方を紹介してきましたが、
そっくりそのまま自分に対して行っていただくと自分の価値観は深堀出来ると思います。
何に対して嬉しい、楽しいと感じるのか。
大切にしている考え方はあるのか。
真っ先に頭の中で思い浮かんだ内容を是非”疑って”みてください。
目指すは「嫌われる人間」
自分の考えを疑って、
自分が本当に求めているモノ(=価値観)が明確になってくると。
ブレない軸ができてきます。
そうなれば結構人間関係が楽になります。
なぜ楽になるのか?は結構単純な話で、
良くも悪くも僕らは周りの人間に影響されてしまっている部分が少なからずあるからという議論に落ち着くのですが。
(生活していると人と関わるのは避けられないことが多いし、個人差こそあれど人間関係が幸せをもたらすのは事実っぽいので)ここでは人間関係にフォーカスしますが、自分の意見を持たないまま声だけデカい人と関わると仮にそれが良いアドバイスを貰っても活かしきれないし、
流されてばかりになってしまって身になりません。(流されているということは考えていない証拠だから)
なので、
自分の軸を持っていると、自分なりに関わり方を選べるし相手の意見に対して採用の是非を選択できます。
直属の上司は○○と言っていたからそっちに合わせていたけど、課長は全然違った考えで△△のやり方で進めろ。
といった状況が職場内で頻発していると結構めんどうじゃないですか?
いや、上で意見をすり合わせろよと、
そんなところでなぜこちらがカロリーを使わないとダメなのかと思う部分もありましたが。
ここで僕がしっかり自分のスタンスを持っていれば少しは考えて行動出来ていたのかもしれません。
(とはいえ、会社のビジョンなんかではデカデカと主体性が重要だとか語られていますが、大言壮語が甚だしく。実のところ各々が主体的に動き始めると組織として統制が取れなくなるので忌み嫌われるのがオチなんですがね。形骸化も良いところ。)
ちなみに、当時の上司と課長が犬猿の仲でして、意見が食い違うのはごく自然なことなんですが。
僕が課長の指示に従ったあと、上司から「なぜ課長の指示に従う?」と問われたことがあったんですが、逆に「では○○さんが課長に指示を出されたときにどのように対応していたのですか?」と聞き返してみました。これで例えば「直属の上司がその意見には反対だから従えませんって言えばいいだろう」みたいなことを言ってくれるのであれば少しは筋が通っているのですが、だんまりですからね。課長の前では猫を被っている上司の化けの皮が剝がれた瞬間です。
で、
ここで自分で正しいと思う答えが見つかったら。その答えを”疑って”研ぎ澄ますという段階を踏みます。
※ちなみにここでの正解は自分が納得いく答えであればエゴ丸出しでOKで、自分が研ぎ澄まして正解と思うものはすべて暫定的に正解です。
なぜならこの領域は自分の中で完結する話なので他者が介入しません。「僕はサーモンが大好きで、サーモンにお金をかけると幸せになれる。」みたいなことを僕は言ってますが。これは誰が何と言おうと僕はサーモンを食べると幸せになれてしまうので仕方ありません。
最終的に自分の価値観が明確になったり、
指針と呼べるものが見つかったら、人はそれ(=大切なもの)以外のものが良くも悪くも、”どうでもよくなる”傾向にあって、
この、外側に対してどうにでも良くなるという状態が最強で、
そういった状態に至るとメンタルも強靭になるし、何より人生が楽しくなります。
軸が無い人は他人のすることなすことに腹を立てることになる。(本人も自分の人生に集中できないし、周りの人にも害があるのでよろしく無いですよね。)※何か一つでもその人が目標を持っていてそれに向かって走っている時なんかは他人を気にする暇が(本当に)無くなるので自ずと軸(価値観)みたいなのがうっすら見えてくる。ものだと僕は思っている。みんながみんなで利己的で(他人に干渉しない)、それでいて自分の責任は自分でとる。ある意味それが楽なのかも。やることをやって、思いっきり我儘に生きる。
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有名な本に「嫌われる勇気」というのがあるのですが、ご存じでしょうか?
帯の部分には”「自由とは他者から嫌われることである」”とあるんですよね。
ここだけ聞くとちょっと何が言いたいのか伝わってこないですねって突っ込みたくなるんですが、
噛み砕いて言うと、
要するに、他者から嫌われようが疎まれようが全く気にならなくなる精神性(=精神的自由である)ということなのですが。
(耳に胼胝で述べるのも恥ずかしくて憚られるのですが敢えてい言うと。あれこれ気にしているうちは自分で自らを束縛しているに他ならない、特に生活をするうえで他者の存在というのは切っても切り離せない中、自分を評価するためのものさしを他者基準で測っていると、精神的自由の手綱を他の人に握らせているようなものということですね。)
僕はこの評価すら(必要以上には)必要ないのではないかと思うようになってきている。理由は自分が自分に下す評価も、他者が自分に下す評価も根拠が無く曖昧であることがよくあって、そんなものに一喜一憂するくらいなら評価など存在するに値しない。 と、思うことがあったからですが、、賛否あるかもですね。(=でもこの考えがさっき述べた”判断”と一緒ですよね。本書でも判断に至る根拠は曖昧なことが多いといった趣旨でも語られていました。あながち間違ってないのかもしれないですね。)
これは、じゃあ嫌われるのに慣れようとして、色んな人に嫌わてから気にしないように(フリを)しよう!などといった”次元”の対策でどうにかなるわけではなく。(アプローチの方法がそもそも間違っているという意味)
自分のことはすべて自分でコントロールできる(=自分はやれば何でもできると信じきっている(=自分次第で環境や状況が望むようになると信じている(=自信)))
少しわかりづらい書き方になりましたが、「もっと自信を持てよ!」という中身の無いアドバイスをする人にはなりたくないので結構色々書いてみました。
今の要素をもとに帰納的に考えていただければ僕の言いたいことが、、、
と言いたいのですが、どうやらこれらをまとめて、
- 自己効力感(自分にはできる!という特定の課題や状況に対する能力への自信や確信のこと)
- 自己肯定感(自分は価値のある存在だ!と能力や成果に関わらずありのままの自分自身を肯定的に受け入れる感覚)
と定義されているようでして、専門用語というのはサクッと意味をまとめてくれるのでありがたいですね。
要するにこれを持ち合わせている人間が、嫌われる勇気がある人ということですね。
主観で恐縮なのですが、順番は先に 効力感→肯定感 といった感じで、
何かを達成するためのスキルを一定以上身に付けた人間は目の前の課題に対して「自分にはできる!」といった具合に確信し始めるので、
行動でどうにでもできるんですよね。(もとより頭の中で考えているだけでは思考は実現しないのですが)
戻ってきましね
”行動でどうにでもできる”最終的にここに気が付く(確信する)んですよね。
もう言わなくても分かると思いますが、これが自信です。
自信が身に付くと良い感じに協調性も低下し始めるので、トレードオフみたいな感じ(たとえば Big Five(性格特性)の理論では、自信 → 自己主張性(外向性の一部)が上がる。協調性 → Agreeableness が関わる。これらは完全に独立ではないので、自己主張力が強くなる → 自分のニーズを優先しやすい。協調性が下がる → 他者に合わせることへの優先度が下がるという“トレードオフ現象”が実際にある。)
他の人がなんといようが自分の決めた道を進み続けます。
対照的に承認欲にまみれた人間とは真逆の立ち位置に居ます。
物事を表面でしか評価できないような浅い人間で、例えば物の価値を推し量る時に価格といった指標しか持ち合わせていない(=価格が高ければいいものであると信じている)
下手をすれば、転がっている石ころであろうとそれなりの価格を付けてやれば信じて良いものだと思い込み購入するような人(もちろん比喩ですよ)
そんな人とは真逆の位置にいます。
(逆説的に考えると承認欲求が高めの人は他人に認められたいと思っているがゆえに自信がなくて、猫を被る。猫を被っている人は自信もなくて承認欲求まみれ、皮肉にも猫を被ってしまった結果本当の自分が認められることは無いから承認欲が加速する。とはいえ承認欲も適度であれば必要です。過ぎたるは猶及ばざるが如し)
僕も、高校生のころなんか、歩く承認欲求みたいな人間でしたからね笑
おかげで、承認欲求高めの人を目にすると高校生の頃の自分をみているような感覚に襲われます。
***
ここまでで嫌な奴、いやな文章を書く奴だなと思ったかもしれませんが。
これが”嫌われる人間”の典型例ですね。
でも、僕のことを分かってくれる人もいるからありがたいです。
結論嫌われる人間の方が幸せなんだと思います。(もちろん本当に周りの人全員に嫌われている場合は話は別で、”適度な鈍感力”で、2割の自分を嫌っている存在を無視して、2割の自分を好いてくれている人たちと関わっていることが前提。嫌われる人間は最強の朴念仁なので。主観で幸せなのが幸せ。)
僕が幸せなんだというつもりではないですが。本章の締めくくりとしてこの言葉が合っているなと思ったので、よろしくお願いします。
※あれこれ言ってますがこれが絶対だということは言うつもりはないし、老害みたいになりたくないので。どしどし批判してください。(否定はやめてね。批判と否定は漢字をみれば分かるかと思いますが”別物”なので、否定こそ自分の意見こそが正しいと言っている老害に他ならない。)
まとめ|主体性が生む静かな自由

少し長くなりましたがまとめです!
本当に久々の投稿だったので、少し緊張する部分もありましたが、
何かとブログを書いている時は集中してしまいますね。
ここ最近やっぱり自分は物音が苦手ということを痛感しております。森にすみたいぃ。
以上が久々の投稿でした。
何度も言いますが、僕の考えになるので読んだときに納得いかない部分が出てくるのは自然だと思います。そんなときは自分が正しいと思う方向に進んでいただくのが一番腑に落ちる部分も多いのじゃないでしょうか。
各々が自分なりの結論に至ってくれたら嬉しい
「あぁなんで自分はいつも自分の話をしたがるんだろう。。」
そのような悩みがずっと昔からありましたで
でもこの本に出会えてそれは、僕だけの話じゃないことを自覚できたし。対処法も分かった。
長年に渡るわだかまりが取れたような気がします。
本書を読んだ後、意識して発言の前に一旦考えてみたり、相手の話をよく聞いたりしてみました。
少しではありますがコミュニケーションでの摩擦が減ったように思います。
今までは、相手も言いたいことがあって、僕も今思っていることを口にしたい、感じたことを共有したいといった急いた気持ちでいましたが、いざ意識してみると意外とスムーズにコミュニケーションは成立するものですね。
かといって自分の言いたい事を言えてないなどといった物足りなさも無く、
快適です。
良くも悪くも他人に期待をしなくなるというか、自分の価値観を押し付けなくなる。
価値観や正義の押し付け合いの温床である対人関係は同じフィールドに立つと、結構疲れます。
近くにいる人には色々期待しすぎてしまう。自分の思ったように動いて欲しいって欲求が根っこにあるんでしょうね。(=自分が正しいと思うことを相手に期待していたり、自分の意見を述べるというのは自分の思ったように動いて欲しいのと何も変わらないという話。相手をコントロールしたいのか?と聞かれると違う!と言いたくなるが実質変わらないのじゃないか?と思う次第。)
自分が間違っているのか?彼が彼女が正しいのか?
なんてことを深く悩んでいた時期もありましたが、正義も悪もなければ(悪があるとすると自分の正義を押し付けるのが悪だと思う)正解も無いようなので、
これからも大人しく相手の意見には共感もしなければ賛同もせず、のらりくらりとソクラテス思考で良い感じの疑問符を投げつけてやろうかと思います。
なんか、大人の余裕みたいなの出るんじゃね?みたいな気がしているのでこれを機にモテることができれば一石二鳥です。(おっと、本音が出てしまいましたね。)
【告知】20代のうちに副業収益ゲットしたい人いますか?
胡散臭いのきたーーー。
僕のこの手の謳い文句自分でも胡散臭いなと思ってままならないのですが。温かい目で見守ってやってください。
急になんだと思われるかもしれませんが、久々のブログ更新。
このしばらく空いた期間は内省をしていたり、今後の展望に思いを馳せておりました。
ということで、
かる~く告知です
大層なことではないのですが、
これからブログを書くポジションからブログを教えるポジションにシフトしていこうかと考えています。
個人的に新しいことにチャレンジしてみたいので、お付き合いいただければ。
ちなみにブログを書くに限らずもっと広い視野でのサポートが可能です。例えば、、
- 副業にチャレンジしたい
- アフィリエイトブログ収益化
- そもそもブログ運営のやり方から教えて欲しい
ですね。
広い視野とは言いましたが、あくまでも専門は副業ですね。何卒宜しくお願いします。
ブログに関しては、ほぼ1年近く放置していてもキーワードランキングの推移が劇的に下がることなく一定数の流入が維持できていたり。
そんな中でも定期的に成果報告のメールや振込完了メールがちょくちょく来るくらいには集客しています。
この程度のマネタイズの基盤になる知識は提供します。
ここから先はたぶん僕の収益をグッと超してくる人がたくさん出てくると本気で思っていて、そうなったら僕としても嬉しいですよね(だって教えた人がそうなるのって光栄でしょう?素直に他人の幸福を喜べないほど僕は捻くれてはいないので安心してね。)
というかそもそも副業を20代の時点でチャレンジするというだけでも、同世代の連中と比べたら圧倒的に人生のステージ駆け上がれます。
取り残して走り去ってやりましょう。
僕もこれがモチベーション維持のトリガーです
チャレンジしてみたいという方はご連絡下さい。
※注意点:いわゆる誇大広告で「絶対稼げます!!」とかいうつもりは無く、それなりのリスク(時間と労力)を覚悟していただく必要はもちろんありますのでご了承下さい。(副業で稼ぐには時間がないというのは言い訳ですからね。無いなら時間作ってくださいね?というスタンスでいきます。)また、その手の胡散臭いことを言って内容の無い話をして終わるということはありません。なぜか?理由は簡単で、僕がこの取り組みで求めているのは新奇性と経験を積みたいという好奇心からなるものです。よって皆さんに当日いただくのは、時間のみです。お金はいただきません。お金の代わりに「相談に乗ってもらうことで副業にチャレンジようやくできた!」みたいなお声が聞けたら満足です。個人的な”成功体験”になるので、今後の自分の成長の糧とさせていただきます。要するに相談に来てくれるだけで僕にとっては充分な利益になるということです。もちろん皆さんにはそれ以上のリターンをお約束しますよ。お互いがWin-Winの関係になり、取り分のパイを増やすをモットーに!
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だんだん、自分の将来的なビジョンがクリアになってくる(目標の具体化が進んでいるので、想像の段階で明確な映像が頭に浮かぶ)のでその理想像に向かって手順を細分化すれば叶えることができます。
僕の場合は現実的な部分から始めました、まずは生活に困らない収入をゲットするところからスタートして徐々にゆとりと余裕が出てくるくらいまで収入を伸ばして最後には贅沢できるレベルにまで収入をのばす。でしたね。
皆さんはどうでしょうか?(僕と違ったビジョンを持っているので気になる)
思考のプロトタイピングと僕が勝手に呼んでいるやつですが、開発の現場では”試作品”を作ってしまってから改善して製品を作り上げていくみたいな手法が採用されていたりします。
理由は、最初からいいものができるのではなく、試行錯誤や改善があって徐々に正解に近づいていく(正解は無いのですが)という姿勢を開発に用いているからですね。
これを聞くと、、人生も似てるとは思いませんか?
(20代の僕が人生について語るのはおこがましいのは承知の上で)人生も試行錯誤の末にようやく納得のいく答え(暫定的な答え)にたどり着きます。つまり人生はいつだってβ版(未完成で改善の余地やおまけのノビシロが付いている)です。
スマホのアプリも昨日アップデートしたと思ったら今日もアップデート来てるじゃんなんてことはザラにあると思います。
人生かけて僕は「成長」を暫定的なテーマにして走り続けています。
思考のプロトタイピングで自分が頭の中で思い描いた像を分解してプロセスに落とし込んでいって、その像に近づいていると実感できる瞬間(=成長)がこの上なくたまらなくてクセになっているからですね。
これ以上ドーパミンが分泌される活動を僕は他に知りません。
以上